最近めっきり書くことがなくなった事態です
職業作家でもない限りこんなことで悩む必要はないのですけれど
なんか引っかかるんだよね
趣味は生活に彩りを与えます
その彩りが少しづつ褪せてゆくのを見ると
こりゃいかん
造花でも飾って置かなければという気分になります
実生活とも切っては切れないでしょう
現実は結構思ったより厳しくまた自分を象ってくれます
良い文章が書けなくなった
それは少し自分の現実を疑う時かもしれません
2011年4月13日水曜日
家族
自分には姉のような人がいます
そして妹のような人もいます
どちらも今の自分にはなくてはならない存在です
つぶさに観察すると
しっかり者の姉のほうが結構奔放だったりします
逆に妹のほうがなんというか
あっけらかんとしてるように見えて重いものを背負っています
大変さはどれも一緒です
こう考えるなら父親と母親も同じくらい違いがあるんです
父親はいうなれば独りで十字架を背負って立たなければいけない
母親は泣き言を言わず動きまわらなければいけない
それぞれの役割、仕事を理解した上で自分の役割を自覚せねばなりません
とりあえず母親には頼りっぱなしかもしれません
また父親には敬意が足りないのかもしれません
家族は厳格に別れ互いを理解し時に折衝してともに進んでゆくのでしょう。
兄と弟に関してですが今回は割愛します
これもまた深い。。。
そして妹のような人もいます
どちらも今の自分にはなくてはならない存在です
つぶさに観察すると
しっかり者の姉のほうが結構奔放だったりします
逆に妹のほうがなんというか
あっけらかんとしてるように見えて重いものを背負っています
大変さはどれも一緒です
こう考えるなら父親と母親も同じくらい違いがあるんです
父親はいうなれば独りで十字架を背負って立たなければいけない
母親は泣き言を言わず動きまわらなければいけない
それぞれの役割、仕事を理解した上で自分の役割を自覚せねばなりません
とりあえず母親には頼りっぱなしかもしれません
また父親には敬意が足りないのかもしれません
家族は厳格に別れ互いを理解し時に折衝してともに進んでゆくのでしょう。
兄と弟に関してですが今回は割愛します
これもまた深い。。。
2011年4月11日月曜日
2011年4月10日日曜日
三つ子の魂百まで
これってすごく悩んでいる言葉なんですね
あぁなるほどって思う反面いつまで続くんだろうっていう不安
とりあえず魂の完成というものはものすごく早い時期に訪れるんです
気がつくままに人生はあっとう言う間に過ぎ去り
変わっていないのは自分だけという現実に気づき
傷つき疲れ果て
眠っては倒れ
眠っては倒れの繰り返し
今自分がどこへ向かっているのか
どこに居るのか
それすらもわかりません
ただ自分は思った以上に他人より脆いということでしょう
成長したなと思う瞬間は傷つかないようにこれ以上痛い思いをしないように
図太い鎧を装着した時でしょう
結局今在りたい姿というのは
生まれたままの自分のあり方ということなんでしょうけどね。
あぁなるほどって思う反面いつまで続くんだろうっていう不安
とりあえず魂の完成というものはものすごく早い時期に訪れるんです
気がつくままに人生はあっとう言う間に過ぎ去り
変わっていないのは自分だけという現実に気づき
傷つき疲れ果て
眠っては倒れ
眠っては倒れの繰り返し
今自分がどこへ向かっているのか
どこに居るのか
それすらもわかりません
ただ自分は思った以上に他人より脆いということでしょう
成長したなと思う瞬間は傷つかないようにこれ以上痛い思いをしないように
図太い鎧を装着した時でしょう
結局今在りたい姿というのは
生まれたままの自分のあり方ということなんでしょうけどね。
2011年4月6日水曜日
新
こういうのってありなのかな?
そうポツリと思うとき
時代が変わり人も変わりいいんじゃないという人が増えてきたらそれはスタンダードです
常識というものはあくまで過去の人が都合の良いように決めたことで未来の常識は
いつだって生まれているのです。
今一番考えていること
それは色の種類です
鏡の色、ガラス越しの透明な色、光のプリズム
例を挙げればキリがありませんが
どれもいまのクレヨンや絵の具では表現できません
ゼロって数字かなって言われるのと同様
これってありなのかな?
もしかしたら完全に自分の造語みたいなものを常套句だと
高らかに宣言してるんじゃないんだろうか
こういう線引きはなぜ難しいのか
そりゃ前に聳え立つ人がたくさんいるからですよ
世の中は自分の常識に結構シビアに反応します
どこの世界に行っても保守はあります
それぞれ個人の考えについていけない人などたくさんいるんです。
最近前に進めてるような気がします
背中を押してくれる人が増えたからなのでしょう
そうポツリと思うとき
時代が変わり人も変わりいいんじゃないという人が増えてきたらそれはスタンダードです
常識というものはあくまで過去の人が都合の良いように決めたことで未来の常識は
いつだって生まれているのです。
今一番考えていること
それは色の種類です
鏡の色、ガラス越しの透明な色、光のプリズム
例を挙げればキリがありませんが
どれもいまのクレヨンや絵の具では表現できません
ゼロって数字かなって言われるのと同様
これってありなのかな?
もしかしたら完全に自分の造語みたいなものを常套句だと
高らかに宣言してるんじゃないんだろうか
こういう線引きはなぜ難しいのか
そりゃ前に聳え立つ人がたくさんいるからですよ
世の中は自分の常識に結構シビアに反応します
どこの世界に行っても保守はあります
それぞれ個人の考えについていけない人などたくさんいるんです。
最近前に進めてるような気がします
背中を押してくれる人が増えたからなのでしょう
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